
プレイリー様式は、米国において初めて、西欧の伝統建築デザイン以外のデザインとして米国中西部で創造されたものです。
当時の欧米全体においては、アンドレア・パラディオが『建築四書』において取りまとめたデザイン、つまり古典的なイタリアンルネッサンス様式が、フランスのエコール・デ・ボザールの建築教育に支えられて支配的でした。
もともとは、中世の形骸化しかかったゴシック様式の打破を目指してイタリアで始まった、ルネッサンスの人間性回復の建築として、古代ローマ建築の自由な美しさを蘇らせることになったアンドレア・パラディオ等によるこのルネッサンス建築ですが、それも形骸化しつつありました。
19世紀になると、古典建築様式に再び時代の自由を採り入れることが求められるようになってきました。
プレイリー様式は、時代の前衛的デザインとして、ドイツの古典様式からの分離を宣言したセゼッション(分離派)運動に相呼応して生まれた、アールヌーボー、アーツアンドクラフツ、グラスゴー派運動などと同様に時代が生み出した建築様式なのです。
