こんにちは。小林 新市です。
このコラムをご覧くださり、ありがとうございます。
私は35歳の時に、あるお客様の住宅設計がきっかけでドイツのハンブルグにあるブラッケネーゼと言う街に行き、初めて本物の中世から受け継がれてきた街のデザインを目のあたりにしました。その時の驚愕感は、今でも昨日のことのように鮮やかによみがえります。その時見た街のデザインは、それだけ印象的でインパクトがありました。
帰国後、NPO法人住宅生産性研究会の戸谷英世先生と知り合い、本格的に欧米住宅デザインとそのデザインが持っている生活文化について学びはじめ、今日に至っています。それ以来、各国の住宅事情や住宅建設探求のため年に一度は渡航し、先人達の残していった不朽のデザインに触れる努力を続けています。当然のことながら国内の住宅地や伝統的な日本建築に対しても同じようにデザインを吸収していく努力をしています。
【ブラッケネーゼの中世から受け継がれてきた住宅】
この不朽のデザインを私はクラシックデザインと呼んでいます。私が何故、このクラシックデザインにこだわるのか説明させていただきます。
アメリカに学ぶ資産としての住宅造り(又は家つくり)
アメリカ人となったイギリス人(英国人)達のこころ
時空を超えた価値観
『美』へのこだわり
欧米に学ぶ、家の文化的寿命
日本の住宅事情は・・・・・
米国(アメリカ)に学ぶ住宅地造りとは?
美しいデザインの家は、ケンカをしにくくなる家
アメリカに学ぶ資産としての家づくり
日本とアメリカ(欧米)の住宅では、何が違うのでしょうか。
構造上の違いとしては、ヨーロッパの住宅は組石造(煉瓦、ブロック、石)が基本である、ということです。屋根だけはどんな建物も木造ですが、基本的に耐火建築になっています。
これに対してアメリカと日本は木構造が基本です。ご存じ通りの通り、アメリカでは2×4工法、日本では在来軸組工法が主流となっています。(※)ヨーロッパの中でも1666年以前のイギリスでは、基本的に木構造が主流でした。
しかし1666年のロンドン大火を機に、英国政府の燃えない街造りが行われ、その命を受けたクリストファーレン(当時の建築家)によるロンドンの再建が行われ、組石造が主流となりました。
次に文化の違いです。この文化の違いは、構造上の違いから生まれました。イギリスをはじめヨーロッパでは床に石材を使用していたため、素足では冷たいこと、また怪我をする恐れなどで土足での生活が当たり前となりました。これに対して日本の文化は、平安期より神殿造りが確立されており、床が板の間となりその素材の持ち味から素足で生活するようになったものと考えられます。当然はじめのうちは、貴族や武家だけでしたが、時代が進むにつれ庶民文化も確立されていき、素足の文化が定着していきます。
しかし、アメリカでは木構造が基本です。なぜ、アメリカの住宅は木造なのかというと、それはアメリカと言う国が出来たルーツにあります。
アメリカ人となったイギリス人(英国人)達のこころ
1660年までの新大陸(アメリカ)への入植が終わった時点で、入植者の中でイギリス人の占める割合は90%を超えていました。この新大陸(アメリカ)で生活していく上で、その拠点となる家を建設する際に、それぞれ諸国の色を持ったデザインの住宅を建てていきました。
当時、アメリカ北部で使われた材料は木材でした。本来、祖国の建築は組石造(煉瓦、ブロック、石)ですが、これらの材料を現地(新大陸)で生産することや祖国から運び込んで用いることは経済的に困難であったため、森林が豊富なことを利とした木工造となったのです。
アメリカ南部では赤い土地であったため、日干し煉瓦等が主流でしたが、一方で北部ではイギリスからの移民が多く、木が豊かな土地でした。そのため、木の加工性や生産性から主構造以外は木が用いられました。
移民たちにとって遠い祖国を離れ、不毛の地を開拓・開墾していくことは並々ならぬ苦労がありました。当時のアメリカは、時代的に気温が低い厳しい環境でした。
そのため、暖を取るために家の中心に暖炉を造り、寒さやオオカミなどの動物から身を守って生活していました。当然、暖炉は一家に一台は存在し、そこに家族が集まり、暖をとって団らんの時間を過ごしていたのです。同時に来客(大切な人)の際には暖炉のあたたかい火でもてなすという文化が生まれました。
暖炉の炎は、入植してきた者達の(イギリス人はじめオランダやその他のヨーロッパ諸国)喜怒哀楽を数百年の間、見守り続けてきました。
この暖炉の炎こそが現代に受け継がれアメリカ人の魂となっているのです。よく、アメリカの大統領演説等の場面で真夏でも部屋の後ろに暖炉に火がくべられ、煌々と燃える炎を目にしますが、これこそがアメリカ人の入植魂、人をもてなす思い、そして国を作り上げてきたという誇りとアイデンティティーの象徴なのです。同時に、大統領があたたかい暖炉の火で全国民を大切にしていることの表れでもあります。
日本でも、戦後の復興を願い、国民が一丸となって狭い四畳半 若しくは 六畳の居間にコタツを囲み、裸電球一つぶら下がった中で、寝食ともにして頑張った時代がありました。先に記述した入植時代のアメリカと類似していますね。また、ここに日本の古き良き家族の絆がありました。
また、日本でも「暖炉の火をもって人をもてなす」という文化に非常に似た事例があります。それは、「いざ鎌倉」で有名な「謡曲鉢の木」です。
「謡曲鉢の木」はこんな話です。
雪の中、行き倒れになりそうな僧が一夜の宿を求め、貧しい民家に助けを求めました。
家人は非常に貧しい暮らしで人をもてなすことなどできない状態でしたが、粟飯を炊き、心ばかりのもてなしをしました。しかし、夜が更けるとついには暖をとる薪さえなくなってしまい、疲れ果てた旅の僧を寒さから守ることすらできなくなってしまいました。
そこで主人はやむなく大事に育てていた秘蔵の盆栽「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、火を焚いて、旅の僧をもてなしました。
日本にも、こんな逸話があるのですね。
話は戻りますが、アメリカの暖炉に代わるものは、日本ではコタツといえるでしょう。現代になって、それぞれの部屋が用意され、しかも空調やオーディオ類の整った環境では、無機的で頭脳明晰な人間を誕生させはしますが、思いやり・協調性・工夫といった有機的で徳のある優秀な人間を誕生させることが出来るか?と言った疑問が残ります。
時空を超えた価値観
以前、私がベルギー(ブリュージュ)に視察に行ったとき、ガイドに「日本は築3〜40年で家を建て替えてしまうと聞いたのですが、それって本当にもったいないことですね。」と言われたことがあります。ガイド曰く、ベルギーでは100年未満の住宅を新築と呼び、100年以上400年未満を中古物件、400年以上の建物はプレミアム物件として、大変に貴重視されるということでした。
【世界遺産:ブリュージュにあるベギン会修道院】
イタリア(フィレンツェ)では、建物の修復作業をするのにどんな些細な工事でも市の申請審査があります。たとえ自分の家であっても勝手に工事をすることが出来ません。その修復方法を、材料や施工の詳細に至るところまで申請し、少しでも市が街並みに違和感を与えると判断した場合、許可が下りません。特に色合いについてはかなり厳しい審査や検査が行われています。これによってフィレンツェの街は数百年にわたり街並みや、歴史的な重みが、中世のまま維持されています。
『美』へのこだわり
14世紀に起きたイタリアンルネッサンスから発祥した建築デザインは、イギリスをはじめとした各ヨーロッパの国々の建築家達が学びに行き、バトンリレーして祖国にそのデザインと文化を持ち帰ることで広まりました。祖国に戻った建築家たちは、イタリアンルネッサンスのデザインを基調にそれぞれの国の風土や趣向を加味して独自の文化と地域性あるデザインに確立していきました。
『グランド・ツアー』とは、各ヨーロッパの国々が専門家たちをイタリアへ送り、政治や文化を吸収させて自国に持ち帰させた旅のことです。
その後、数百年の間にはさまざまな建物が建てられました。しかし、全ての建物が現存しているわけではありません。人々によって美しいと評価・吟味され大事に受け継がれていった文化的な背景をもったデザインのみが現代に残っているのです。
このイタリアンルネッサンスから受け継がれたデザインを、後世の人々にも受け継いでいこうとする思いは現代に至っても健全に、ヨーロッパの人達に脈々と受け継がれています。受け継がれた理由は、その美しいデザイン(文化)が元々自分たちの宝であると思えるほどに大切にしたいという思いが生まれ、実践されてきたからです。ここに百年未満の建物は新築として受け止められる要素が伺えるのです。
【あるがままに美しさを残していくイタリアの街】
欧米に学ぶ、家の文化的寿命
日本と欧米では、文化の何が違うのでしょうか。
一番の違いは家の物理的寿命と文化的寿命への視点の当て方です。
欧米では一度建てた家は、丁寧に手入れをしていくため、年月の経過とともに資産価値が上がっていきます。
しかし、日本で中古住宅は新築住宅より安くなるのが当たり前です。
では、なぜ欧米の人たちはそこまで家を大事にするのでしょうか。
それは、家の「文化的寿命」が長いからです。
日本には取り入れていない、文化的寿命。
それは、その家に住む人の・生まれ育った環境の思い出 ・結婚してからの思い出 ・生まれた子どもの思い出 ・これからの希望 と言った郷愁の念が住宅デザインの中に組み込まれていることです。
このような「大切な思い出」のような要素がないと、家は大事にされません。愛着が湧かないからです。
日本ではまだまだこの文化的寿命が考慮された住宅が少ないため、大方30年以内で建てなおされる原因の一つとなっています。
日本の住宅事情は・・・・・
欧米では街並みやデザインを守るために日本でいう、建築基準法のようなものは、これらの想いに抵触させないように確立されてきています。機能や性能・耐震性はもとよりデザイン(文化)を守ることに大きな力が注がれているからです。
日本では古来からの大社造りや寺社造り、神殿造り、書院造り、数寄屋造りと日本固有の建築手法が受け継がれてきていましたが、戦後に入りその手法は大きな転換期を迎えました。それはご存知のように衣食はもとより、住居に至るまで急激に洋風化していった時代です。
この時代において、日本ではヨーロッパやアメリカの建物が見よう見まねで真似されてきました。また、昭和30年代の政府によって行われた、持家政策は日本の経済を底上げする大きな原動力となったものの、全体的なバランスや、住宅デザインの質(=人間の違い。人と人との違いを表すにはデザインである、という考え方)の向上・統一感といった本来の資産価値を高める部分は、おざなりにされていった感があります。
この流れを明治から昭和からにかけてご説明しますと、次のようになります。
明治時代に入って、政府が日本にもウェスタン洋式をとりいれるため、お雇い外国人としてジョサイア・コンドルというイギリス出身の建築家が来日しました。彼は鹿鳴館など政府関連の建物の設計を手がけました。ジョサイア・コンドルに学んだ日本人たちは東京駅や旧岩崎弥太郎邸など、美しい欧米デザインの建築物を作り出しました。
次に、関東大震災後のことです。この大地震を機に、日本では美しいデザインよりも「耐震」という機能に重きが置かれるようになりました。
さらに戦争が起こり、日本の建築物は空襲による火事にもさらされました。そのため、「耐震」にプラスして「耐火」機能も重要視されるようになりました。そのため、機能ばかりが先走り、美しいデザインは蚊帳の外になっていったのです。
そしてさらに昭和30年代に入り、持ち家政策が開始されたことで、その傾向がどんどん増していったのです。
現代では、家を構成している材料をみれば、その建てられた家の年代が解ってしまうほどでもあります。ことのほか外壁に至っては建材メーカーの新商品発表会といっても過言ではないほどです。そのため、はやりが過ぎてしまうと時代遅れの産物となってしまう傾向にありますので、これらの材料を使うときには更なる吟味が必要になります。
日本では、材料や工法がよく吟味されずにもてはやされたという風潮も、その一因となっていると考えます。
前項の歴史のように、一環した文化的な背景をもたなかったことが、日本の住宅事情が諸外国に比べて貧しいと言われている原因があります。
日本では一都市集中型の住宅政策をとった為、当然の事ながら収益の大きい首都圏では土地の価格も高価なものとなり、一軒当たりの所有敷地面積は小さく、高度経済成長に共たって過密化していきました。
その反対に、地方では収益面で首都圏に比べて乏しい為、土地の価格は安価で一世帯当たりの主有面積は大きいけれども、過疎化といった問題が悩みの種となっています。この年々進行する2極化が、日本の住宅事情をさらに悪くしていく原因にもなっています。
また「街づくり」という視点においても、大きな違いがあります。ジグソーパズルに例えるならば、欧米は街全体を一つのジグソーパズルとして設計し、きれいにピース(家)をはめ込んでいくのに対し、日本ではぐちゃぐちゃなピースを無理やり押し込めてはめてしまっているのです。ですので、街の景観が美しくなるはずはありません。
米国(アメリカ)に学ぶ住宅地造りとは?
アメリカ人は、前述したグランドツアーに参加したイタリアンルネッサンスデザインを踏襲した人種の末裔です。同時に19世紀に起きたアメリカンルネッサンス文化の末裔でもあります。
イタリアンルネッサンスデザインでまず求められることは美しいデザインです。その部分が核となって、すべての街を構成する工作物(道路・公園・商業施設等)が、建設されていきます。
もう一つ日本と違う所は、広大な国土を持っている利点から一戸当たりの敷地面積は日本の平均の4〜5倍であることと、道路とが広く取られていることが伺えます。ここの広々とした街並と様式感のある住宅が建設されていくのです。
この住宅地の企画・建設に携わっていくのが、民間のデペロッパー達です。米国(アメリカ)では、日本の区画整理事業でみられる様な国や市区町村が介入することはありません。よってこの民間業者(デベロッパー)は自らの企業としての発展を構築するために住宅地の開発にあたっては、家の所有者の経済的状況や、ライフスタイルに応える消費者本位の住宅・住宅地づくりに執着を持っています。
なぜなら、所有者にとっていかに資産価値の高い住宅地を造れるかが、そのデペロッパー達が生き残っていくための絶対条件であり、使命とされているからです。ここに日本とは住宅地開発の大きな違いがあります。
アメリカの住宅地(住宅開発)に求められることは、住みやすさ(住宅としての機能性能はもとより)・安全性のみならず、将来的にこの所有した住宅(住宅地)を転売した時に値上がりしていることが重要な要素となります。
(※)住宅地が値上がりする3つの条件はコラム「米国英国に学ぶ住宅」を参照。
日本とは違い年金制度・社会福祉が充実していない(ない)米国では、自らの所有した住宅こそが年金代わりとなります。そのため住宅を購入する場合、その住宅地を開発したデペロッパーの信用度(過去の手がけた住宅地が値上がりしていること)が購入条件の対象となります。
それに対し、なぜ日本では資産価値がおざなりにされていってしまうのか。たとえば、住宅ローンもその一つと言えます。
アメリカでは様式感のしっかりした建物(文化的な要素をもった建物)でないものには、十分なローンが付きません。それは、その住宅単品にではなく街全体の様相も考慮されてローン付けされるからです。様式感がなく住宅地にセットされたCC&Rs(住宅地に住むための約束事)がない住宅には例え売値が3000万の住宅であっても1000万しか出ないことがあります。つまり、銀行が市場でその住宅地を売った時に売れる値段しかローンが組めないということです。
開発協定、管理組合規則などと訳されます。その住宅地に住むための約束事が書かれているもので、これを厳守することで家や街の景観が美しくなり、資産価値が上がるのです。
日本の場合は、これらの要素はまったく考慮されず、その土地の路線価から考慮された土地の資産価値と木造・鉄骨・RCといった構造の違いによる判定でローン付けが100%されています。
今後、日本(世界的にも)の人口推移や経済状況を考えると、私たち住宅業界に従事する者は、これらの欧米のデザイン(文化)や住宅造りの手法を取り入れ、資産価値の高い住宅地を造りあげることが使命であると考えています。
そして、一般の住宅を取得する人々にとって、日本の現状では中古住宅といえば値が下がって当たり前、という風潮がありますが、売るときに残債が残らない家づくりをしていくこと、それを目指していきたいと考えています。
美しいデザインの家は、ケンカをしにくくなる家
住宅デザインの美しさとそこに住まう家族の暮らし方の美しさは、前述のように
ルネッサンス時代から受け継がれた文化デザインとそこに住む人が郷愁の念を抱くもの
で構成されます。
家族が大事にしたい家に住むと、無意識に家族の共有意識や帰属意識が深まるため、ケンカをしにくくなるのです。
そのような家をつくるためには、家づくりを提供する側が住む人の趣向・思い出・価値観・これからの人生の希望、といったことを深く知ることが必要です。
また、美しいデザイン(文化)を取り入れ、長い時間をかけて住む人をよく知った上で住宅をつくっても、実際に住む人が幸せであることの喜びを大切にしなければ、そこはただの家族の入れ物になってしまいます。
私は、美しい生き方をしていきたいご家族に、美しい住宅を提供していきたいと考えています。
そのために時間を割くことはとても有意義なことです。
蛇足ですが、私は19歳の時にある難病にかかり20数年、かなりつらい思いも嫌な思いも経験してきました。
振り返ると、その病気にかかったことで得たものは大きく、人生あきらめてはいけない、時間はかかっても必ずいつか達成できるんだと学んだ気がします。
その経験が家を作りたい人にご相談いただいたとき、なぜか役に立つのです。
例えば、家づくりを考えなければいけない人に相談を受け、長い時間をかけてその人をしっかり理解していった上で家づくりをすると、新居ではいつの間にかいざこざがなくなっていて、お子さんのお友達も増えた、ということもありました。
それは、とことんその人を理解しようと努めたこと、その方も私の思いに応えて本音を伝えてくださったことが良かったと考えています。
そんなふうに住宅という箱が、美しいデザインと
そこに住むご家族の充実した暮らし方で、あたたかいHOMEになったらこれほど嬉しいことはありません。
でも、そうなれるのです。
暮らし方も住宅も美しくしていきたい方へ、また、そんな人が集まる街づくりをしたい方へ、
このコラムサイトを贈ります。